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韓国が忌み嫌う豊臣秀吉の侵攻の以前に『恨』の国が日本に行った残虐非道を知るべし [韓国]

韓国人の日本に対する「恨」(ハン)は秀吉の朝鮮出兵まで遡る。だが、鎌倉時代・中国を支配していた「元」による九州への攻撃・「元寇」における高麗軍の蛮行について、韓国は未だ固く口を閉ざしたままだ。








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 韓国人の日本に対する「恨」(ハン)は秀吉の
 朝鮮出兵まで遡る。だが、鎌倉時代・中国を支
 配していた「元」による九州への攻撃・「元寇」
 における高麗軍の蛮行について、韓国は未だ固
 く口を閉ざしたままだ。
 (中略)

 韓国朴槿恵大統領はこう発言した。
 「加害者と被害者という立場は1000年の時が流
 れても変わらない」
 この“被害者メンタリティ”に凝り固まった韓
 国人が「最も嫌いな日本人の一人」とするのが、
 16世紀に朝鮮出兵した豊臣秀吉だ。

 しかし、明星大学戦後教育史研究センターの勝
 岡寛次氏は、韓国の一方的な被害者意識に異を
 唱える。

 「実は秀吉の朝鮮出兵の300年前に韓国(高麗)
 軍は日本に侵攻し、暴虐の限りを尽くしました。
 この事実を韓国は都合良く忘れています」

 1274年、中国を支配していた元が鎌倉時代の
 日本に侵攻した。この時、元に征服されていた
 高麗は遠征軍に加わり、対馬と壱岐に攻め入っ
 たのだ。

 元・高麗連合軍侵攻時の残忍な記録が残ってい
 る。住民の男は殺されるか生け捕りにされ、女
 は手に穴を開けられ数珠つなぎの捕虜にされた
 という記述だ。勝岡氏が文献を解説する。

 「捕虜の手の平に穴を開けて縄を通すのは、百
 済の時代から朝鮮半島の伝統であり、“数珠つ
 なぎ”は高麗軍の仕業と推測しています。また
 『高麗史』によれば、高麗軍は日本で200人も
 の童男童女を生け捕りにして、高麗の忠烈王と
 その妃に献上したということです」




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