東北の復興支援参加で感じたこと [よもやま話]
東北復興支援のツアーから帰ってきました。
民間のツアー会社が主催するバスツアーのバスは静岡から東京新宿経由、
夜行での車中泊で現地に向かいました。
朝6時に高速道路サービスエリアで身支度してから仙台市と名取市の被災地の
視察から始まりました。
1階部分が津波で破壊されかろうじて残った家屋が少ないながらも残っていて、
修復されないまま放置されることで、津波被害の傷跡を当時のままに伝えていました。
市内中心地に近づくほどに、再開発して見違えるようになった新興住宅地、
OPENしてほどないメガショッピングセンターなどがいかにもという感じで
復興の現在のギャップを象徴しているように見えました。
被災の実際を生の声で聞かせていただける現地ボランテイアの方の話を聞きながら、
神の存在について、あるいは神と呼ばれるその存在について考えさせられ、
あまりにも残酷な運命の分かれ道と、被災の瞬間の状況を肌で感じることができました。
今もなお、被災地や仮設住宅での自殺者の発生は減らないと聞きました。
束の間であっても、つらい記憶や家族を亡くした悲しみを少しでも忘れることができ、
ひとつでも多く笑顔を作れるなら、遠くから赤の他人が現地に訪れることにも
少しは意味があるのではないかと思いました。
災害の現場にかけつけた当時の災害救助関係者、ボランティア活動はたいへんな苦労と
痛みを伴うものだっただろうと想像します。
また一方で、災害後の復興支援を気長に継続するその活動にも尊い意志や愛があると
心から感じました。
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